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名古屋家庭裁判所 昭和49年(家)3147号 審判

申立人 吉本広夫(仮名)

事件本人 チャールズ・バーナード・ヘンダソン・ジュニア(仮名)

主文

事件本人チャールズ・バーナード・ヘンダソン・ジュニアの後見人として、本籍名古屋市、住所同市吉本高子を選任する。

理由

一  本件記録によると次の事実が認定できる。

(イ)  事件本人はアメリカ合衆国アーカンソー州に法定住所を有するチャールズ・バーナード・ヘンダソンを父とし、日本人野口信子を母として、両名の婚姻中に生れた嫡出子であり、合衆国の国籍を有している。事件本人の父親チャールズ・バーナード・ヘンダソンは沖繩県所在の合衆国海兵隊キャンプ・スメードリー・ディー・バトラー・マクトーリヤス補給大隊に勤務していた間に、前記野口信子と知り合つて結婚し(昭和四四年八月二九日婚姻届出)、翌四五年一月八日に事件本人が生まれてから間もなく除隊し、同年四月頃に事件本人とその母である野口信子を伴つてアメリカに帰国した。事件本人の一家はアメリカに移つてからは、カリフォルニア州において住居を定めたようであるが、チャールズ・バーナード・ヘンダソンが刑事事件で服役する等のために、家庭の維持が困難となり、野口信子は事件本人を連れて昭和四六年一二月頃に同女の実家である沖繩県野口豊雄方に戻って来た。野口信子はその後実家で事件本人を養育していたが、昭和四七年一一月初め頃に、近く刑務所から出所する夫との離婚手続をしてくるということで、事件本人を実家に預けたまま渡米した。同女からは渡米後二~三か月程たつた頃に、なおチャールズ・バーナード・ヘンダソンの所在を探がしている旨の便りが一度実家にあつたのみで、その後何らの連絡もなく、以後全く消息不明になつている。又、チャールズ・バーナード・ヘンダソンからもその帰国後何らの連絡がないし、その所在を追跡する手がかりはない。そのために事件本人については、父母共に所在不明となつており、親権を行なうものがない状況である。

(ロ)  申立人は野口信子の実姉である吉本洋子の夫であるが、事件本人を申立人夫婦の養子とするために昭和四九年三月二〇日から自宅に引きとり、日本名を「正夫」と名付けて養育中である。本件申立によつて後見人が選任されれば、申立人は正式に養子縁組手続を行ないたいと考えている。そこで申立人は昭和四九年一〇月一七日に本件後見人選任の申立をしたものである。

二  上記事実によれば、本件はアメリカ合衆国アーカンソー州に法定住所を有する未成年者の後見にかかる事件であるが、事件本人は前記のとおり申立人の住所である愛知県内に居住しているのであるから、日本国裁判所が本件について裁判権を有し、かつ名古屋家庭裁判所が管轄権を有している。そして法例二三条一項によれば、後見の準拠法は被後見人の本国法であるとされているが、本件においては事件本人の本国法は法例二七条三項に従いアメリカ合衆国アーカンソー州の法律であるということになる。そこでアーカンソー州法令集によつて後見に関する規定をみると、男は二一歳が成年とされており(五七-一〇三条)父母は婚姻中、未婚の未成年者に対しては共同の自然後見人であり、同等の権限と義務を有し、看護教育・法定の制限内で財産の管理を行うのであり(五七-一〇四条、五七-三〇一条)、後見人のない未成年者に対しては検認裁判所が後見人を任命しなければならない(五七-一一一条)とする旨の規定がある。前記のとおり事件本人については両親が共に所在不明であつて、これらの規定に従えば、自然の後見人がない状態にあり、かつてその後新たに後見人が任命されたという事情もうかがえないから、事件本人に対し後見人を任命する必要があり、従つて事件本人の本国法によれば後見開始の原因があることになる。そして前記のとおり事件本人は日本国内に居住しており、ほかに後見の事務を行なう者がないというのであるから法例二三条二項に従い、日本の法律により後見人を選任すべきであるということになる。ところで、吉本高子は野口信子の実妹である(従つて事件本人の叔母である)が、申立人の実弟である吉本育二の妻でもあつて、事件本人とさほど遠くない所に住んでいるという事情にあり、かつ現在事件本人を自宅に引き取つて養育している申立人は妻と共に事件本人と養子縁組をする積りでいる(当庁昭和四九年(家)第三一四八号養子縁組許可申立事件あり)ということであり、事件本人には何ら財産はないということであるから、吉本高子を事件本人の後見人に選任することが適当であると判断される。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 高木實)

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